セラミック・ギャルズ | (1)硫酸地獄

まえがき

これは、皇紀238年の大災害・北極大震災で壊滅的被害を被った帝國金星植民地の危機を救った陶工娘たちのお話です。

皇紀100年前後に帝國宙軍が行った氷隕石投下作戦により部分的可住化がなされた金星だったが、重要物資・水銀の採掘拠点を除けば発展は少なく植民事業は壁にぶち当たっていた。
一部地域の低温化による降水誘発と水面発生、クレーター湖への炭酸ガス吸収による気圧低下、極地や浮遊プラットフォームにおける植物生育による一層の炭酸ガス吸収と酸素発生、帝國首脳の目論見が誤っていたというわけでもない。
ただ、その進みが人類社会の危機進行に間に合うほど早くはなかっただけである。
最大の障害は硫酸地獄だ。金星大気において二酸化炭素、窒素に次ぐ成分である二酸化硫黄が雲を形成し金星の雨は硫酸の雨である。
いくらか大気中の水蒸気が多い低温化地域においてすら雨の成分は水より硫酸が多い。
このため定期的氷隕石投入にもかかわらず隕石クレーター湖の多くは酸性化が進行していた。
むろん長期的には湖水の硫酸分が湖底の岩石と反応し徐々に吸収されていくが気の遠くなるような未来の話である。
湖水を生活用水にするための分溜装置から排出される硫酸を深井戸に廃棄するというささやかな努力もまさしく焼け石に水であった。
一方、皇紀130年には地球諸大国の資源収奪合戦はもはや終末的状況となっていた。
大人口を抱える大国は手っ取り早くエネルギー資源を得るため月にヘリウム3を求めるしかなかった。
そのため月面で容易に採取拠点が建設出来る地形の場所はたちまち満杯となった。
全身サイボーグが普及していない彼らはまだ宇宙で活動するのが精一杯であったから、表だった戦いは一応避けられてきた。
だが新しく開拓出来る場所がなければ有る物を奪い合うしかない。
大国の権力者が本気で全身サイボーグの量産を決意すれば月は戦場になる。
いかに帝國が生命維持装置の機密保持に腐心したとて、大国が真剣に予算をかければ出来るものは出来てしまう。
もちろんその時は地上も、衛星軌道もすべて戦場になるだろう。
いつ本国が核戦争に巻き込まれても不思議ではない。
緊急措置として危険を承知で金星地上に素体生産地、即ち生身のシビリアンが居住する施設が設置された。
硫酸の雨に耐えながら内部空間と外気圧の圧力差を支える分厚いステンレス製の大型ドーム内で人工太陽灯による耕作が行われ酸素と食糧が確保された。
それに必要な電力は氷隕石落下地域とその他との温度差と濃密な大気がもたらす安定した強風から得られる風力から供給された。
ドーム内の居住環境は決して貧弱なものでなかったが、分厚い外殻が必要なため1基の居住可能人口は50人ほどが限界だった。
施設の故障による待避や今後の出生者を考えれば配置するシビリアンは30人が最適数である。
ドームはクレーター湖に囲まれた低温化地域の中でも特に低温な環境を選んで設置された。
浮遊プラットフォーム競売に際して大企業や公家にオマケとして与えられた領地より遙かに安全な地域である。
落札者領の大部分は、いまだに全身サイボーグかところによってはリモートボディしか立ち入れない環境が多いのだ。
しかも帝國の優れた人工皮膚すら地上で数日活動すればぼろぼろに腐食するからサイボーグの活動だって低調である。
酸素消費が許されない金星地上において製鉄は不可能だ。
したがって利用される鉱物資源は需要が多い水銀や元から単価の高い金だけで、他は手つかずだった。
ドームの素材は地球静止軌道の工場衛星において余力の範囲内で生産されていた。
大量の鉄、いや鉄だけならまだなんとかなるがニッケルとクロームまで消費する金星植民ドームは宇宙艦のような量産が難しい。
資源収集が順調な時期でも年に1基建造するのが精一杯であった。
したがって災害により一度に多数のドームが破壊されても急速な補充は不可能だった。
だからこそ、建設場所には安全な地区が選ばれ、居住定員にもゆとりを持たせたはずだった。
しかも百年以上かけて増設された108基のドームに分散居住しているからリスク分散も十分と考えられていた。

だが、その想定外が起きてしまった。


植民ドーム壊滅

皇紀238年8月のこと。
寝耳に水の猛烈な揺れが素体生産ドームを襲った。
風化作用が激しく地形の平坦な金星には人工的に作られた隕石クレーターを除き殆ど崖がない。
また、濃密な大気のため衛星からの地形探査で光学データが使えない。
このため大きな断層はあまり発見されておらず、平坦な地形と相俟って地震被害は予想されていなかった。
とはいえ、シビリアン用の植民ドームは分厚いステンレスで作られているから、地球上で人類が経験した殆どの地震に耐える代物だ。
だが、高圧で硫酸ガスに満ちた金星大気下では建っていられれば大丈夫というわけに行かない。
かくして、多数のドームで補修困難な気密不良が発生し、住民が無事だったドームに待避することになった。


素体確保条例

安全な居住ドームの絶対的不足という危機に対し総督府は重大決意をもって臨むほか無かった。
金星だけに適用される条例による植民ドーム居住シビリアンの全数素体化である。
これは裏返せば、素体たり得ない者の生存を認めないと言うことである。
少しでも多くの金星シビリアンを救済すべく素体適性基準は従来限界とされたレベルをも超えて引き下げられた。
それでもなお、この決定は金星シビリアンの男性にとり極めて残酷である。
帝國の技術をもってしても、いまだに男性の全身サイボーグ化は成功していない。
唯一の例外は顕在、潜在を問わずGIDの素質を有する者が十分な時間をかけて性転換順応した後に改造手術を受ける場合だけだ。
先天的に条件を満たさない男性はいかに有能でもチャンスが無い。
小数だが能力的に緩和素体適性基準を満たさない女子もまた同じ運命である。
だが、植民ドームの2/3が使用不能となった現状で将来素体とならない者を養うことは不可能である。
18歳以上の緩和素体適性基準不合格者は3日以内のドーム退去を命じられ、退去出来なければ安楽死処分されることになった。
不合格者が地球に行くことは出来ない。
帝國本国のシビリアン人口は長期素体供出計画にしたがい最適な生活環境を維持すべく定数が定められている。
自由港”経済特区”ならば定数はないが、国家機密を共有するシビリアンは不可蝕原則により特別許可がなければ立ち入れない。
そして近年の国際緊張下において特別許可を得られる素体不適格者は政府高官か境界警備に携わる地軍要員にほぼ限られていた。
民間人で許可が得られるのは貴族資本企業で交易業務に携わるものや特命を受けて海外調査に赴く皇帝の信頼厚い学者など、例外中の例外である。
すなわち将来素体となれない者は本国でも経済特区でも受け入れ不能なのだ。
もちろん全てが余剰人口を抱えている地球上の他国にも受け入れられる余地はないし、経済特区と同様に不可蝕原則のため要請すら出来ない。
行けるところは極めて限られている。
長期の宇宙飛行に耐えられる小数の頑健な者は、火星静止軌道にある大工場の軽工業地区労働者に採用され転出して行った。
核パルス艦基地である火星大工場には外国査察官受け入れのため自由港が設置され、生身で生活できる区域があった。
しかし、移動できたのはそれなりに幸運な者だけだ。
帝國では生身のシビリアンが惑星間を移動する機会は国家計画による地球から金星への植民か火星大工場への就労、素体訓練中の本国研修以外に殆ど無い。
素体研修以外は一生行ったきりの片道移送が原則であり、1回の乗船人数も限られている。
このため生身でも乗れる低速な化学推進型輸送船・シビリアン移送艦はたった2隻しかない。
火星大工場の受け入れ能力に余裕があったとしても行ける人数などたかが知れている。
そして火星大工場に行った者は世界の富裕層向けに設けられた火星観光拠点で就労でもしない限り一生惑星の土を踏む機会がない。
大工場から出る機会も殆ど無く、仮に外国船で雇用されたとしても地球に降りることはまず許されない。
用済みで解雇されるときは火星大工場に戻されるしかないだろう。
あるいは、浮遊プラットフォームを保有する貴族や大企業にツテのある者は空中に浮かぶ住み込み奉公先を得ることが出来た。
だが、浮遊プラットフォームは重量制限が厳しく僅かな奉公人しか迎え入れることが出来ない。
18歳未満の者はしばしの猶予を得て、次の素体検査に受かるべく必死で訓練に励んでいる。
特に男子は自分にGID素質があることをひたすら信じ、少しでも素体調査官の印象を良くすべく内面と容姿を磨くしかない。
だが、素質がなければいかなる努力も意味がなく現実は厳しい。
折悪しく帝國は太陽系外素体星産地の獲得を狙いアルファケンタウリへ向けて艦隊を送った後であった。
恒星間植民計画は一度始めたら後続の支援艦を送り続けなければ破綻してしまう。
そのため地球静止衛星軌道の工場が金星支援に回せる生産余力は可住化初期より低下していた。
地球諸国の干渉を全く受けない太陽系外素体生産地計画は短期的見込みが厳しい金星より優先される。
恒星間航行艦約10隻分もの資材を消費する植民ドーム再建は年間1基しか出来なかった。
帝國はより多くの素体を必要とするから金星における新規出生を止めることもまた許されなかった。
かくして、大災害後も毎年相当数の18歳に達した素体不適合者が安楽死処分される事態が続いていた。
不適合者処分は向こう20年ほど止められない。


つづく

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